エイプリルフールの語源
ショートショート / 2009年04月 / エイプリルフールの語源についての云々。
1867年、イギリスのエイプリル少佐は戦地で家族に宛てた手紙を書いた。
「私は祖国のための礎となる。家族を残して逝くのは心残りだが、どうか誇りを持って私の分まで生きて欲しい」
戦況は圧倒的に不利で、このままでは彼の部隊は全滅だった。手紙を若い部下に託し一部の古株の部下のみを率い敵に向かい、部隊には撤退命令を出した。

エイプリル少佐の部下、ボーネル軍曹は最後の戦いで唯一生き残り捕虜となった。後に彼は語る。「少佐は本当は家族に会いたかった。だが、年若い部下たちの命を救うことを選んだ」

ボーネル軍曹は、負傷し息を引き取る間際のエイプリル少佐の言葉を聞いた。「私は馬鹿だ。本心では今にも逃げ出して家族の元へ帰りたいと思っている。だが、誰かが戦わねば全員が死ぬのだ。誰かがやれねばらなぬのだ」

撤退した部隊のコリンズ少尉は、エイプリル少佐の手紙を家族に届けた。彼の妻は、手紙を読んで言った。「あの人は本当に馬鹿なんです。本当は怖くて仕方がないのに、嘘をついて……」

4月1日、戦争は終結した。エイプリル少佐の部隊は、この戦争による最後の犠牲だった。彼の部隊300人余りが、彼の古参の部下10数名の奮闘により命を永らえたのだ。

女王は言った。「自らの命を投げ出し、家族を残して逝くのはなんと悲しいことでしょう。ですが、彼の行いを誰が責められるでしょうか。我々は彼のことを心に刻み込まなければなりません。祖国を思い仲間を思い家族を思い、愚かな尊い嘘をついた一人の勇敢なる男のことを」

イギリスはエイプリル少佐に騎士爵位を授け、4月1日を「大切な人のために嘘をついてもいい日」として「エイプリルフール」と呼んだ。

それが次第に世界中に広まり、今日のエイプリルフールとして定着したのである。














――ふう、こんなところか。私、エイプリル少佐はここまで書いて筆を置いた。
来年の4月1日に自費出版する予定の自伝、その最後の章にジョークとして載せるつもりだ。
……誰か一人ぐらいは信じてくれるだろうか?
→エイプリルフールの語源2
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